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「アメリカの影」と文化の経済学

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  以前、大瀧詠一の音楽論と文化経済学との関連について解説した。今回はその続編だ。大瀧の多くの作品は、日本の音楽が影として引きずっている「世界史的なもの」を明るみに出すことだった。例えば、大正末期からジャズの輸入が盛んだった。当時流行したエノケン(榎本健一)、二村定一らの歌謡曲は、このジャズ文化(つまり世界史的なもの)の派生物であり、やがてこの世界史的なものが忘却されることで、「日本的な歌謡曲」が生まれたと公衆は信じてきたことになる。

 このような「世界史の影」を別な角度からとりあげた人たちがいる。ひとりはアイドル評論家の中森明夫、もうひとりは保守派の若手論客の古谷経衡のふたりだ。僕は最近、このふたりとそれぞれトークイベントをする機会があった。

 中森は日本のアイドル史を「アメリカの影」から読み解く重要性を指摘した。中森は以下のようにこの「アメリカの影」を整理している。

 「日本はアメリカに敗戦した。米軍キャンプ巡りの若きミュージシャンらが戦後の芸能界を創った。敗戦状況を基盤として、そこから独自の自立を果たそうとしたその成果/精華こそ、日本型アイドルなのだ」(中森明夫「敗戦後アイドル論」『一冊の本』(朝日新聞出版)二月号収録)。

 中森が指摘しているように、今日のアイドル文化を築いた芸能事務所の創立者の多くが、米軍基地で音楽活動をしたり、またはそこでの仕事をきっかけにして日本の芸能界との関係を深めていった人たちだ。渡辺晋・美佐(渡辺プロ)、相澤秀禎(サンミュージック)、堀威夫(ホリプロ)、ジャニー喜多川(ジャニーズ)など錚々たる面々が並ぶ。彼らの音楽的関心の方向はジャズやロックが中心だった。先ほど書いたように、ジャズは戦前から日本の歌謡曲の中に「影」として忍んでいたが、ロックがここで「アメリカの影」として日本の歌謡曲の中に組み込まれる。例えば、ジャニー喜多川のジャニーズ事務所の所属する男性アイドルグループ(SMAP、嵐など)は、現時点で日本の男性アイドル市場で最大シェアを誇っている。このジャニー喜多川のアイドルの目指す理想は、『ウェストサイド物語』の世界であることが知られている。ニューヨークの下町で繰り広げられる若いギャングたちの闘争と、それを背景にした現代版ロミオとジュリエット。このブロードウェーでロングランを記録したミュージカル(後に映画化されて大ヒット)と同じレベルのものを日本で再現する。これがジャニー喜多川の「アメリカの影」といえた(ジャニーズ文化については、速水健朗・大谷能生・矢野利裕『ジャニ研!』原書房が詳しい)。

 さらに中森は“日本”のアイドル第一号である南沙織の「アメリカの影」を指摘する。彼女は返還直前の沖縄から来た。アイドルが「偶像」という意味の「虚構」であるならば、いまだ日本であらざる占領地から来たというエピソードに、中森は日本のアイドルの誕生そのものに刻まれた虚構性(アメリカの影)を指摘する。これは中森の議論を敷衍しての僕の考えだが、南沙織には彼女が所属していた基地文化からの断絶というものがあった。アメリカ=基地文化と無縁であると公的に宣伝されることで、「日本的なアイドル」としてのアイデンティティを確立する。だが、そこには中森や大瀧の指摘したように「世界史的なもの」「アメリカの影」が秘められている。具体的にいえば、彼女の母親(沖縄出身の日本人)と再婚したのは基地で働くフィリピン人だった。そのため南沙織は基地で流れるアメリカ音楽の洗礼をうけていた。ビートルズ、ジャクソン・ファイブらが大好きであったこと、また地元のロックグループ紫とのかかわりも、すべて南沙織の「日本で最初のアイドル」神話の中では長く抹殺されてきた。南沙織だけではない。1970年代から21世紀にかけて日本の歌謡曲の歴史の中で大きな足跡を残した阿久悠。彼もまた「アメリカの影」に引きずられていた。阿久悠は「二つの夢のアメリカ」を目論んでいた。具体的にいえば、沢田研二でハリウッド、ピンク・レディーでディズニーランドを実現することだった。特に後者の野望は、アメリカの三大ネットワークNBCでの冠番組PINK LADY(Pink Lady &Jeff)で一部実現した。「“遠いアメリカ”にたどり着いたアイドル」と、ピンク・レディーのことを中森は表現する。

さらに今日、AKB48で日本のアイドル市場を席巻している秋元康。彼が長い間、その目標を米国でのショービジネスでの成功においていたことはよく知られている。だが、彼はやがて自伝的な小説『さらば、メルセデス』を書くことでアメリカと決別する。しかし「アメリカの影」はAKB48にいまだ色濃く残っている。例えば、AKB48の世界戦略は、米国を取り囲むように展開している。特にアジア地域(中国、インドネシアなど)や欧州が活動の中心だ。アメリカと別れることで、逆にアメリカの影が一層濃くなる。

 このような「アメリカの影」を、古谷経衡は著作『クールジャパンの嘘』(中経出版)の中で、アメリカの文化=政治戦略の中でとらえる。占領期の日本におけるアメリカ文化や価値観の流行は、日本人の「自主的」選択ではない。占領軍の見えざる検閲や誘導の結果である、と古谷は指摘する。つまりソフトパワー(文化戦略)の背後には、ハードパワー(軍事)の影響力が常に存在していた。この日本へのアメリカ文化の供給は、いわば支配されたものの束縛された選択なのである。また古谷はこのアメリカ文化の供給が、日本人に受け入れられたもうひとつの論点を指摘する。それは、(沖縄戦はあったものの)本土決戦がないことが米国文化の受容に決定的な役割を果たしたことだ。つまり面と向かって殺し合うことがなかったため、多くの日本人にとってアメリカとの戦争は一種の「天災」とでもいうべき見方になってしまった。そのためアメリカ文化の受容に心理的な抵抗がほとんどなかった、と古谷は指摘している。これは村上龍も浅田彰や坂本龍一との対談の中で展開していた(『EV.Caf 超進化論』収録)。

 さてこのような「アメリカの影」を文化経済学からどうとらえるか? その続きはまた稿を改めて。


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