朝のスタートがよい日は、一日気持ちが良い。
今朝はとてもキュートな女性にほめられた。それは本当に嬉しい一言だった。
「足の爪、綺麗に塗れているね」
3歳くらいの女の子が、お兄ちゃんとともにパパの出勤をお見送り。
その二人とマンションのエレベーターの中で一緒になった。
「パパのこと、好き?」
「うん」
「パパと一緒は良いねぇ」
「うん」
このやりとりだけで、この家族の心の豊かさが伝わってくる。
その後に、先の言葉が続いたのだった。幼児の目線から、大人の足下は近い。
すごく自然な驚きと一緒に、素直な美しさへの憧憬があった。
二人の子供達から、とてもすてきな贈り物をもらった気がした。
「絶望の国の幸福な若者たち」という書籍が売れている。
年金にせよ、雇用にせよ、いまの若者たちの置かれている状況は極めて厳しい。
韓国と竹島の問題、中国と尖閣諸島の問題、ロシアと北方領土の問題で揺れている。
国民全体に不安が拡がっている。
韓国・中国に関して言うと、現在の世論の問題は反日教育・愛国教育の問題が大きいと言われているが、本質的なことは「国力」の低下にあるといえるだろう。特に、憲法9条で軍事力を封印している日本のような国にとって、国力を形作っているのは「経済力」だった。その経済力に翳りが見え始めた結果、相対的に周辺諸国の圧力が増しているといえる。
いったい、この国の枕詞を「絶望」にしたのは誰なのだろう。
政治や官僚に絶望する人、不満を持つ人は多い。
「この国に生まれて良かった」と思えるようにするには、どうすると良いのだろう。
しかし、日常の何気ない言葉や仕草の中で、互いに「心」がふれあうことで「良かった」を与えあう術も持ちたいと思う。
政治がだめだからこそ、自らの周りだけでも与えあう努力を無くしたくないと思う。
この国に生まれて良かった、と。