日本のポップス音楽に偉大な足跡を残した大瀧詠一が急死した。僕にとっての大瀧詠一は「さらばシベリア鉄道」「A面で恋をして」などの楽曲を通してての感銘だけだ。僕と一回り上の世代でもあり、それほど深い影響を受けていない。ただ今回の逝去をうけて、アイドル評論家で著名な中森明夫が「分母分子論」について言及した。不勉強なことに、僕はこの「分母分子論」についてまったく知らなかった。今回は、この大瀧詠一の分母分子論と経済学との関連について考えてみたい。
まず「分母分子論」とはなんだろうか。それは明治以来の日本の音楽はすべて洋楽(世界史)からの輸入だ、というものである。「世界史」が分母となり、そこに「日本史」が分子として乗っかっているということになる。ここで「世界史」というのは、洋楽のサウンドと歌詞(英語ないし欧州言語)であり、「日本史」とは典型的には、日本語の歌詞である。以下は、音楽評論家の相倉久人との対談からの抜粋である(「大瀧詠一のポップス講座~分母分子論~」
相倉:(略)これだけサウンドが浸透しても、日本人の感性では、やっぱりバック・サウンドとボーカルが別な扱いでしょ。
大瀧:(略)世界史分の日本史っていうのは、そこなんですよ。サウンドはいつも輸入で、ここがいつも変化してくる。そこに日本語がのっかるというのがひとつの形になってますね。
「螢の光」などの明治初期の文部省唱歌からこの「世界史分の日本史」という意識が潜在しており、日本の歌謡曲全体を支配している音楽受容のあり方だと、大瀧は指摘した。例えば古賀政雄、服部良一らの「流行歌」の先駆者たちもその意識は、「世界史分の日本史」だった。古賀の「酒は涙か溜息か」はドイツ民謡のメロディをアレンジしたものに、日本語の歌詞が乗っかったものである、と大瀧は一例としてあげている。そしてこの「世界史分」という分母が時間を経ると忘却され、「日本史」のみが残っていく。“世界史分”はまさにカッコをつけられ、無意識化されていく。そしてこの(世界史分を忘却した、だが実際にはその上に乗っかっている)「日本史」を分母にした別の「日本史」が生まれてくる。例えば、ドイツ民謡という「世界史分」が忘却され、「酒は涙か溜息か」はサウンドと歌詞が混然一体となって「日本史」=演歌として理解され、それから影響・波及して別な演歌(日本史)がうまれてくるような「三層構造」のケースである。
大瀧がこの「分母分子論」を最初に展開した80年代初頭はいわゆるニューミュージックの旋風が吹いた後だった。このカッコつきの世界史、その分子である日本史、さらにその日本史を分母とする日本史の「三層構造」が横並びになった時代である、と大瀧はさらに論述を展開した。この横並び現象は、簡単にいうと日本の音楽の「地盤」や来歴の事実上の“殺害”だといえるだろう。もはや、歌謡曲がその来歴をとわれることなく、演歌でもポップスでも相互にジャンルの分離とたまさかの交流を繰り返している。大瀧の分母分子論は、分母たる「世界史」的なものを再活性化させ、その上に載っていた日本の音楽に批判的な刺激を与えることを意図したものだった。
この分母分子論はさらに洗練されて「普動論」に至る。これは明治以来の音楽のあり方が、土着的な「右派」、ハイカラな「左派」、そして最も人気のある「中道」という一種の政治的な力学を考察したものだ。例えば、大瀧によれば、明治初めの唱歌の導入期では、唱歌はハイカラであり「左派」であった。他方で民謡、都都逸、小唄などは土着的で「右派」である。唱歌がハイカラで「左派」であるのは、それが「世界史分の日本史」であったからだ。つまりサウンドが洋物だからだろう。他方で「右派」的なものはこのような「左派」的なものの感情的に反発する。一種の民族的感情の反発だ。それが、おそらく「世界史分の日本史」の「世界史分」のカッコ入れがすすむ要因になる。その象徴が、演歌の流行を生み出す。このときその演歌の流行は、サウンドの母体である洋楽という先祖殺しを伴っての流行である。このときの演歌の大流行は「中道」を形成するといえるかもしれない。現在の音楽は、この右派・中道・左派が横並びになり、したがってそれぞれが背景にもった来歴は一切問われることなく相互にぐだぐだに受容・消費されている状況だと、大瀧は批判的にみている。
例えば、大瀧の分母分子論と普動説を採用してみると、いま現在の「右派」が好む「蛍の光」の受容のあり方は、興味深い素材になる。現在の学校教育では、「螢の光」は二番までしか歌詞が掲載されていない。しかし三番・四番が存在し、それを歌う歌手のsayaは右派の人たちの熱い支持をうけている。三番・四番の歌詞には、当時の国土防衛的な意識が色濃く反映されている。
明治初期では、ハイカラ的なものとして導入された「螢の光」-唱歌であり、もともとのサウンドはスコットランドの民謡―は「左派的」なものだったが、いま現在は“歌詞”という「日本史」的なものの内容によって、民族的ないし右派的な消費・受容スタイルと親和的になっている。そして「螢の光」の今日の右派的受容のされ方では、大瀧が指摘していたように、サウンドがそもそも「世界史的」なものであり、その意味で「螢の光」が「世界史分の日本史」であることが忘却されている。ここで注記しておきたいが、さきほどのsayaは日本の唱歌を数多く歌ううちに、それが日本の感性と必ずしもしっくりいかない、という指摘をしているが、それは例外的な態度だ(詳細は、僕の書いたsaya論:『正論』2013年7月号参照)。
ところで経済学者のタイラー・コーエンは、大瀧風にいえば、「世界史的な音楽」が特定の国に輸入され、どのようにその国の音楽を変容させていくかを、その著作『創造的破壊』の中で解説している。コーエンによれば、世界史的な音楽は、その国にもともとあった音楽的なものを時には排除し、時には吸収し(日本の唱歌やポップスのように日本語の歌詞と洋風サウンドの合体など)、また時には死滅させてしまうだろう。しかしこのことが音楽の消費のあり方をせばめることにはならないと、コーエンはいう。むしろ音楽の多様性がいっきに拡張する「創造的破壊」がみられるのが一般的だろう、というのが彼の主張だ。コーエンの指摘は面白い。ここに大瀧の指摘した「世界史分の日本史」の抹殺という要素を取り組んで、日本の音楽消費のあり方を再考する余地が生まれてくるだろう。